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料理人 西野正巳ヒストリー(京都編)

大阪あべの辻調理師専門学校のアルバイト進学
学費なども全て親からの支援無しでも自力で学校に通い資格が取れるようにと作られた制度、
働きながら自動的に学費を給料から天引き納入してくれる。
また殆どのバイト進学紹介先が寮生活での住込みで部屋なども探さずに済むので助かります。
そこでお世話になったのが有名な高級串カツの名店「串の坊 本店」でした。
串の坊の先輩から卒業が近づいた頃に先輩の同級生が働く京都の料亭に1人空席が出来るので行かへんか? 
この誘いが京都の有職料理を継承する西陣魚新で修業するきっかけになりました。
当初は東京まで戻って就職しようと考えておりましたが、
周りの方や先生への相談で日本料理を極めるなら京都が良い!
さらに普通では入れない一流店や老舗ならなおさら良いと後押しされました。
その代わりに京都の一流店は働きたい志願者が多いので、
「給料は少なく、休みも無い、労働時間も1日15時間以上が普通」だと言われました。
まさか?高を括っていたら・・・もっと地獄だった!(笑)
それでも自分の人生に役立つ大きな糧になるなら根性だけは負けないと志願しました!
そこで卒業式も未だなのに1日でも早く仕事をはじめろ!
のんびりしている間に同期に抜かれるとか言われ早々に寮入りして働いたのは今では思い出です。
ここでの見習い修業や多くの地獄と感じた経験が今の自分の礎です。
先代の寺田茂一大将や良子女将や先輩方に可愛がって頂き何とか最悪な子供だった私も成長できたと思います。
弊社も開業して15年目に近づいた2008年頃に寺田大将が癌で末期だと言うのに、
お前には役に立つと一流店しか加盟できない国際観光日本レストラン協会へ推薦して下さり、
瓢亭の高橋英一氏をはじめ多くの飲食界の方々と出会うきったけを作って頂いたことは大きな財産で
この時に大将自らが京都に伺ったときに店の前に水打ちをして下さり、
私を招き入れて下さった愛情と恩義は生涯けして忘れません!

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